世の中を成功と失敗に分けると成功でないときを失敗とかテゴライズするし、そうするとそれが挫折感に変わります。

成功していないことや成功していない自分を無駄に責めるわけです。

そして無駄に失敗を慰める名言とやらを見たりするわけです。

そこには、わざわざ自分は失敗したという思考を生み出して、それを打ち消す名言を探すたびに出たりするという無駄な工程が入っています。

物事は二面性があって二元性で二曲に分けられますが、自分が行っていることは成功や失敗という2つの事柄で片付けられるほどシンプルではありません。

そしてそれはすべて通過点であり、数限りなくある大小の目標の一つなんですよね。

だれもが大なり小なり目標を持っていると思いますが、それを達成したいならそれをしていればよいわけです。

わざわざ失敗だのなんだのということを持ち出して当てはめて落ち込んだりする必要はないのに、そこで変に啓発に走ったり、一時的に勇気をくれる本を買い漁ったりして成功哲学を学ぼうとします。

そうじゃなくて、もと浮き沈みのないニュートラルな視点で物事を観察すれば、やっていることが目標に近づいているかどうかだけが見えてきます。

成功だの失敗だのと決定付けることは、長い人生のを超ミクロで捉えて、その瞬間に無理やり属性を振り分けているだけなんですね。

片付けが好きな日本人がやりそうなことなんですが、うまく行かないことは必ずあります。

必ず誰にでも、どんなときにでもあります。

つまりは避けて通れない通過点の一つなのに、そこに失敗したから自分には才能がないだのなんだの泣き言を言ったりします。

何度も言いますが、物事はもっとマクロ的に、そして中立に見ないと判断できないし、実は判断すること自体がそもそも間違っています。

恋愛でもそうです。

あの人は今日挨拶してくれなかったからこの恋は終わった、というようにこの関係性をミクロで切り取り、成就するかしないかを瞬間的に判断します。

そうではなく、もっと離れてみて、観察するかのように俯瞰することがこの恋愛ゲームで大事なこと。

ルパン三世がそうですよね、分析すると。

大人になるということは、大人の考えをするということは、離れて見るということです。

判断を入れずにニュートラルで俯瞰することです。

成功や失敗などと言わないことです。

全てはプロセスなんですから。